徐福伝説

徐福伝説

今から二千二百余年の昔、秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めて蓬莱を目指した徐福以下三千余の勇士は、東支那海を横断し、遂に我が国に到達しました。
徐福は当山にその冠をとどめ帰国を断念したが故に、冠嶽山の名を得たと云います。
稲作や五穀を将来したといわれる徐福は、我国黎明期の大恩の人です。


『本藩の霊地の最なり』 三国名勝図絵

三国名勝図会冠嶽には用明天皇 (聖徳太子御父君)の御代、蘇我馬子は勅願により紀州熊野権現を当山に勧請し、その別当寺として興隆寺が建立されました。

 


校歌に歌われ仰がれてきた冠嶽

校歌学校の校歌の中にはその土地のシンボルが歌われ仰がれてきています。
いちき串木野、薩摩川内両市の学校の校歌の多くには『霊山冠嶽』が象徴として歌い継がれています。
また地域の遠足では冠嶽登山を伝統行事としている学校もたくさんあり、地域の大切な『心のふるさと』」となっています。


いちき串木野、薩摩川内 両市の水源地 冠嶽

地元住民以外には意外と知られていないのですが、最終処分場が作られようとしている冠嶽はいちき串木野市、薩摩川内の両市にとって貴重な水源地です。
冠嶽山麓に広がる豊かな森林とそこから湧き出る豊かな水。
水源地としての冠嶽をご紹介いたします。

採石場跡地

鹿児島県が「産業廃棄物管理型最終処分場」建設計画を予定しているのは鹿児島県薩摩川内市川永野大原野地区にある採石場です。


県は「予定地は薩摩川内市でありいちき串木野には一切関係ない」と強弁していますが、問題の採石場跡地は冠嶽山麓であり、冠嶽西岳を挟んでたったの1㎞しか離れていません。

1km

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こちらの映像は建設予定地での採石の様子です。
岩盤は硬い様な印象は受けません。

『柱状節理 鹿児島県薩摩川内市の産廃処分場予定地』

次の映像は大雨が降った時の建設予定地の様子です。
県の言う頑丈で水を通さない安全な岩盤に見えますでしょうか?

『鹿児島県の産業廃棄物管理型最終処分場の建設予定地』


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